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更新日 2017-01-31 | 作成日 2016-12-27

当世「バチ当たり」考 

 
新潮45
 
 
 
 
 
「なぜ」という科学の目
「バチが当たる」という言葉は死語になりつつある。
 「ミミズにおしっこをかけるとミミズのバチが当たって腫れる!」からはじまって、大きくなるにつれ、「畳の縁【へり】に足を載せてはダメ」、「敷居を踏んではいけない」、はたまた新聞や本など文字が書かれたものを踏んだり、跨いだりするだけでも「バチ当たりな!」と母親というものは、着物を縫うために使う長い尺で、ピシリと足を叩きながら子供に「バチ」の怖さを教えたものである。
 ところが、最近、母親が子供に「バチが当たる」といって叱るという話をほとんど聞かない。うちの小学生の子供の同級生の母親と話しをしていて、子供が悪いことをしそうになると「コラッ!」「この子ったら……」と聞くのはまだ、言葉の激しい人はいきなり「このクソガキ!」とか「バカ!」と罵って、いたたまれなくなくなってしまうほどである。「そんなことしたらバチが当たるわよ!」という人はほとんどいない。
 訊いてみると「バチが当たる」という言葉は知っているが、それを自分の子供に使ったことはないと異口同音に答える。
「バチが当たる」という言葉は、消えてしまったのだろうか。バチはもう当たらなくなってしまったのだろうか。
 なぜこの言葉がなくなったのか……しかし考えてみると、どうやら「なぜ」という疑問が、「バチが当たる」という言葉を消していったようにも思えるのである。
 今は世を挙げて、「すべて平等」という時代である。
「相撲の土俵の上には女性は上がってはならない」というしきたりも、この「同権」には敵わない。それは「なぜ?」という問いに納得するような「科学的根拠」などないからである。
 もちろん、男女は平等である。それは当然である。人間であるという点においてそこに何の区別も差別もあろうものか。それに、土俵に女性が上がったからといって、祟りがあるわけもなかろう。
「〈なぜ〉という問いが、科学的客観的な目を育てる」と、三十年ほど前のテレビやラジオは繰り返しそれを奨励した。頭のいい子供ほど、「なぜ?」という問いをするものです。……しかし、この科学する目は、我々の祖先が守ってきた見えないものへの「畏怖」さえも消し去る大きな武器だったのではないだろうか。
 
壁に耳あり
 現代の子供はすでに小学校に入る頃から、鍵さえかかる自分の部屋をあてがわれる。
 彼らが独りで部屋にいる時の様子は、漫画『どらえもん』に描かれるように、のび太と同じくマンガを読んでいるか、寝転がってしずかちゃんとの楽しいデートを夢想しているのと同じであろう。
 女子大生も独り暮らしをはじめれば、下着だけ、あるいは裸でベッドに寝そべり、お菓子を食べながらテレビを観ても構わない。
それのどこが悪いのよ!?
 そう訊かれれば、誰も答えようはない。「女性は土俵には上がれない」という疑問と同じである。しかし、はたして本当にそれでいいのだろうか。
 真の美しさは、化粧で醜さを隠すことではないとは、古今東西を問わず言われていることである。
「壁に耳あり、障子に目あり」と、むかしは言われた。鍵のかかる部屋などない。我が国は襖と障子で部屋の区切りがつけられる。隣の声は筒抜け、何をやっているのか障子に漏れる影でも見える。朝畳んで押入に入れたふとんは夜まで出さない。いつ、だれが来るか分からないからである。もし、火事や地震があれば、着の身着のまま家を飛び出さなければならない。汚くしていたら、人に見られて恥ずかしいという気持ちがあれば、人は独りでいてもそれなりに身を慎んでいたに違いない。
 いまや、「バチが当たる」と言って、ものさしで叩いてくれる人もいない。奉公をして丁稚、あるいは書生となって他人の家でやっかいになり、自ら人との関係を築く術を身体で覚えなければならなかった時代でもない。
「肩を出してトイレに行ってはダメ」、「茶碗にいただいたご飯の米は一粒でも残すな」、「神社仏閣ではごみを捨てるな」、「新品の靴は必ず午前中に下ろすもの」、「朝からサルという言葉を使うな」、「ロウソクの火は吹いて消すものではない」「親は大事にしろ」「お金で遊ぶな」、「本を跨いではならない」「夜に口笛を吹くな」「神社の前を通るときには、一礼しなさい」……そうしなければ、具体的になにか悪いことが起こるかどうかわからない、……「バチが当たる」のだ!
 ところで、「バチ」とは何か。
 目が見えなくなる、耳が聞こえなくなる、地獄に堕ちる……と様々に言われたが、それは、必ずしも芥川龍之介が「蜘蛛の糸」で記す血の池地獄に堕ちたカンダタほどの苦しみではないかもしえない。
 ただ、「バチ」とは具体的な不幸ではなく、もっと深い「心の病」に似たものであると思うのだ。
 ボクは大学でこの五年ほど、学生相談室という役を受け持っているが、年々増える学生の「心の病」をどうして解消してあげることができるのかと腐心する。授業にさえ出ることもできなくなって自殺を企てる学生たち……。「放っておけばいい。死ぬのも勝手」と我々が学生の頃は言われたものが、それでは現在の大学としては問題になる。今やこうした危機管理から、学生の定員に対して決められた数のカウンセラーを置き、教員がこうした学生にどう対処すべきかということを記したマニュアルを作製すべく、文科省では準備がなされているとも聞く。「むかしとは違う」とよく言われる。「大学は学問だけをやるためだけの機関ではなくなってしまった」
 我々はもう昔に戻ることはできない。
 学力の低下が問題になるとともに、こうした学生のメンタルケアーまで教員がしなくてはならなくなったことは、「バチ」を言わなくなったことと無関係ではないと思われるのだ。
 
バチは、悟りのための条件
「バチ」は「罰」と書かれる。これを「バツ」と読まないのは、この言葉が奈良時代の仏教に由来するからである。
「罰」は、仏教で決められた「戒律」を守らないことに対しての罪報である。
 当時、僧侶になるためには、まず「戒律」を守る作法を学ばなければならなかった。七〇一年に発布された大宝律令には「僧尼令」という「令」(決まり)が定めてある。
 僧侶になるには国家が定めた決まりを守らなければならない。彼らは、今で言えば、給料をもらう国家公務員であった。仕事の目的は「国家鎮護」、すなわち我が国が平和であるための神の加護を受けるための儀式を行うことである。彼らは国を平和に守るという目的のために、厳しい戒律を守ったのである。
 とは言え、僧侶になるということには、もちろん個人としての目的がある。本来仏の道とは自己を救済することに他ならない。どのようにすれば、この浮き世のなかに満ち満ちた誘惑に打ち勝って煩悩を払い、本当の平安を得ることができるのか。
 ひとりの人間の心の平安が、国家鎮護に繋がるという思想は、儒教の根幹である「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国」「平天下」とも重なるところがある。
 儒教は、国家の体制を整えるためのシステムである。そこには「なぜ」という疑問はない。実務を行うためには、決して私情をはさんではいけないというだけのことである。
 これに対して仏教には「なぜ」がある。
 仏教で問題となる根本的な問いは「なぜ、私はここにいるのか」である。もちろん、答えは自分で見つけなければならない。見つからないかもしれない。しかし、自分がここにいるということの不思議こそがつまりは、永劫のむかしから輪廻を繰り返してきた人間の因果なのである。……しかし、はたして輪廻は目に見えないから信じられない。
「仮説」というものが近代科学のもっとも大きな問題解決のための方法であったとすれば、仏教ほど近代科学的な考え方はあるまい。
 近代科学があらゆる条件をもって仮説を証明するように、仏教には「戒律」というものがあった。「戒」も「律」も今の言葉で言えば「決まり」と訳されるが、もともと「戒」はサンスクリット語でシーラと言われるもので「身口意」の悪を防ぐための規範であり、「律」はヴィナヤというもので煩悩を制御することを意味した。
 仏教徒であれば必ず守らなければならないものは殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒の五戒、また出家して二十歳に満たない沙弥が守る十戒、二十歳になればそれが二百五十戒、さらに三百四十戒を守ればやっと国家公務員として「具足戒」をクリアする。
 このように、修行が深まり、僧としての位が上がるごとにこうした「戒律」はより厳しいものになっていく。「戒律」は言うまでもなく、悟りを開くために設けられた条件だったのである。
 
バチは「かぶる」もの
 中国の七世紀から九世紀、唐の時代には輪廻を題材にした仏教説話が多く作られ、それらの多くが日本にも伝来し、後世まで日本の文学に影響を与えた。
 例えば、唐の元和頃(八〇六─八二〇)書かれたものに「盧伝素【ろでんそ】の良馬」という話がある。これは、ある日、貧乏な主人公、盧伝素のところに貰われて、せっせと働く黒駒が、人間の言葉で話しをしたという物語である。訝る盧伝素に馬が言う。
「私は前世、実は人間で、あなたに世話になっていたものでございます。あなたに言われてある人の家の別荘の売買の仲介に行ったとき、悪い仲間に誑かされ、その金をネコババして逃げた者。あなたはしかし、それを咎めもされませんでした。まもなく私は事故に遭って死んだのですが、地獄の平等王の裁きで、この世に馬として生まれ変わって来たのです。……私は三日後に、この黒駒の役を果たし、死ぬることになっています。明日、東の門を朝早く私を連れてお出なさい。そこにどうしても私を買いたいという人が現れます。七十万銭で、私を買ってくれましょう」
 怪しむ盧伝素が、しかし、馬の言ったとおり東の門から出てみると、驚くかな、黒駒を買いたいという外国の武官が現れる。五十万銭でいいよと盧が言うのを武官は遮り、こんなにいい馬は七十万の価値があると言って無理矢理金を押しつけて買ってしまうというのである。はたして、その七十万銭は、別荘を売買した時の仲介料に匹敵した。
 これに似た話は、中国の文学にも非常に詳しかった江戸時代の戯作者、滝沢馬琴の『勧善常世物語』にも現れる。人は、次に生まれ変わった時に、何になるかわからない。それは自らの業を解消するためである。
 標準語では「バチが当たる」と言うが九州北部の方言では、これを「バチ(を)かぶる」という。「かぶる」は「蒙【こうむ】る」の訛語である。
「バチが当たる」というのは、因果が直接自分に跳ね返ってくるような感じがする。しかし、「バチ(を)かぶる」と言えば、遠く見えないところから因果の波が分けもわからず押し寄せて自分を覆ってしまうようには思えないだろうか。
 ひとは独りで生きているわけではない。悉皆草木、森羅万象、ひともものもすべてひっくるめて「人はここにある」のである。
 仏教は、前世、来世を言うことで、因果応報──自分の蒔いた種は自分で刈らなければならないと人に教えるが、中国では道教の教えと相俟って「功過格」という一冊のノートとなった。
「功」は「人の道として正しいこと」、「過」は「過ち」、日々の行いに「功過」をつけて年末にその点数を計るのである。そして「格」とは、それを判断するための指針である教えと同時に、毎日「功」と「過」を「○」「×」で書き入れる「格子」の表を表している。この「功過格」は、中国では民国初期までは普及していたし、我が国でも似たような書物が江戸末まで出版されていた。
 遁れられない前世の因果をこの世で解消して来世へ繋ぐというのははたしてバカげたことなのであろうか。キリスト教でも、以前は毎週日曜日に教会に行って懺悔をしていた。これは天国への門に入るためである。天国さえもうなくなってしまったのだろうか。
 しかし、こうした日常の小さな罪滅ぼしによって、我々はひととして守るべきこと、そしてそれを守らなければ社会がバラバラになってしまうことを教わって来たのではないだろうか。
 
答えのない世界
 カトリック教徒が毎週日曜日に教会に行って懺悔をするのと同じように、我が国では仏教、儒教、神道が入り交じった形で、人は他人との関係を図り、自らがいつだれに見られていても恥ずかしくない態度を身につけてきた。
 週刊紙の吊り広告に「堀江貴文、ヒルズ成金に下った天罰」(「週刊文春」三月二十九日号)というのを見たことがある。
「成金」と呼ばれるひとはいつの時代でもいる。必ずしもホリエモンの「成金」に天罰が下ったのではなかろう。詳しくは知らないが、彼の他人に対してとった態度が、天罰を下したのであろう。
 たとえば、天皇、あるいは中国の古代の天子、ヨーロッパの皇帝と呼ばれる人々は、この世で最高の権威と権力を持ち、物質的にも何ら不足のない生活にあった。こうした最高の地位にあるひとに自制の心がなかったら、彼が統治する世界はまもなく破壊と混乱をもたらしたと、歴史はそれをつまびらかに記す。
 今、我々はほとんど法によって蹂躙されない自由と平等とを得、かつ衣食住に困らないほどの豊富さに恵まれている。にもかかわらず、さらなる自由と平等を求めるための「なぜ」という疑問の渦によって「バチが当たる」という言葉は、風化しようとしている。
 昔に帰れとボクは言っているのではない。ましてや仏教の輪廻による「罰【バチ】」を人に信じさせるために言っているのでは決してない。
 ただ、「バチが当たる」という言葉が消えることによって現代人は個人が功過を背負うことによって守ってきた「徳」を失ってしまうのではないかと考えてしまうのである。
「徳」とは中国の六朝時代に書かれた『論語』の注釈書のひとつ皇侃の『論語義疏』には「自分から得る素直な心」と記されている。
「なぜ」という質問を他人にぶつけることは簡単である。そして答えのない世界に自由と平等を主張すれば土足で踏み込むことも可能であろう。
 しかし、「なぜ」はこの『論語義疏』によれば「自ら問うこと」であり、「答えのない世界があることを知る素直な心」ということにもなろう。
 自らの正しさばかりを主張しては、決して得られないものがある。大学生の心の病も、こうした「他人に対するなぜ」によって心が枯渇した状態なのではないか。そして真剣に「自分に問う」ためには「独りを慎む」時間と空間が必要となってくる。
 
小人閑居して
「畏れ」という言葉は、『論語』に見える。孔子は「君子に三つの畏れがある」と弟子たちに語っている。
 孔子曰く。君子に三畏有り。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして畏れざるなり。大人に狎れ、聖人之言を侮る。(季氏篇)
 君子が畏れ、小人が知らない「天命」とは、はっきり言えば自分が何のためにこの世に生まれてきたかということである。「そんなことは知らない!」と答えるのが現代人であるとすれば、孔子は笑うこともできずに嫌みな顔をこちらに向けることであろう。
「なぜ、ここにいるか」という問いは結局、誰にも分からない。しかし、存在とはただ不思議なものというしかなく、我々はここにいるべくしてここにいるというところからしか出発できない。だからこそ孔子は先祖を大事にすること、そして親を大切にするための「孝」を説くのである。しかし、いまや「親孝行」という言葉とて、ほとんど死語になりかけている。
 親との関係が友との関係と区別がつかなくなってしまえば、当然、孔子がいう「大人を畏れる」ということもなくなる。「大人」とは、言ってみれば先生や師匠のようなものである。狎れて口を利き、これを敬うことがなければ小人であると、孔子は言う。
 先生、師匠は、茶道や学問などでは一筋の糸のように繋がった家伝や師伝がある。孔子は特定の師について何かを学んだわけではないが、周の政治制度を整えた周公旦を夢に見、禅譲によって中国を継承した伝説の聖王、尭、舜、禹の記録を見て、人間の関係が「礼儀」という徳によってしかスムーズに行かないことを知った。「刑罰」という論理でモノの善し悪しを計れば、人は策謀によってそれから逃れることで「恥を知る」ことを忘れてしまうであろう、と。
「畏れ」は「知る権利」を主張することによって消える。もし「恥」とは何かと訊かれれば、孔子はまたしても笑うであろう。「独りを慎むということを、あなたは知らないのでしょう、可哀想に……」と言いながら。
 と、『論語』を引いても、中国の古典の引用は、もはやほとんどの人には、かえって封建的と、敬遠されるに違いない。
 だが、いまだに語り継がれ、時々経済誌などにも特集が組まれたりする幕末から明治、大正、昭和初期に数百の株式会社を設立した渋沢栄一が拠り所とした書物は、唯一ともいうべく、『論語』であった。彼には中国学の専門家の著述かとも思われるほど考証の詳しい『論語講義』という名著(講談社学術文庫刊)があり、これを分かりやすく誰にでも読めるように解説した『論語と算盤』(国書刊行会)もある。また、彼が生涯をかけて集めた論語の注釈書約六千点は、東京都立中央図書館に「青淵文庫」として寄託されている。
 同じ時代、こうした中国の古典に興味を示したのは、ひとり渋沢のみではない。彼とは敵対しつつも同じように経済人として知られる三菱の岩崎弥太郎は、世界に誇る東洋の古典の粹を集めて駒込の東洋文庫や世田谷の別荘には静嘉堂文庫を作り、また金融、保険会社として知られる安田善次郎は安田文庫を、はたホテルオークラの創設者として知られる実業界の雄と称された大倉喜八郎の大倉集古館など、つい最近まで財界人は古典を読み、これを生活の指針としていた。
 幸田露伴から「木にたとえれば四千年の大樹」と称賛された大倉喜八郎は、銀行業をなぜしないのかという質問に対して「借金をして仕事をしながら、その一方で金貸しをすることができるか。おれは銀行など真っ平だ」と答えたという。また、日本と中国とにおける貿易事業については「商売は双方の利益をはかるようでなければ、幾久しく円満な取引は継続しない」と語り、双方の不利益を解消することに専念したという。ただ、金を儲ければそれでよしとする金の亡者ではなかったのである。
 こうした彼らの事業の最終的な目標は、「経済」という言葉のもとである「経世済民」ということにあった。渋沢が東京養育院を設立するなど、国内外を問わず、常に公益的な慈善事業に積極的に取り組み、六百以上もの病院や学校、孤児院や養老院などに役員として参加していること、また大倉も同じく惜しみなく教育や慈善事業に巨額の資財を投じていることがそれである。
「なぜそんなことをしたのか?」と問うたとしたら、彼らは何と答えるだろうか。売名行為?それとも単なる憐れみ?
 そうではあるまい、彼らは実際には見ることのできない祖先との関係、同時代に生きているあらゆる人々との関係、そうしたものを繋いでいこうとしたのである。
『広辞苑』で知られる新村出が「勿体ないこと」という文章のなかに書いている。ふつう、「勿体ない」という言葉は、まだ使えるものが捨てられたりする時に口に出されるが、「若【も】しモッタイナイを単に経済的意義にのみ考へたら、それは浅薄な解釈といはねばならぬ。モッタイナイの語の底には、宗教的な感情が含まれてをると思ふ。その裏にはバチが当る、天のバチか神仏のバチか、とにかくわるい応報があるぞい云ふ暗示を含んでゐると思ふ」
 新村は、「モッタイナイ」という語源が「物体なし」であるという。
 分かりやすくいえば、「正体がない」、「正しい道理がない」ことである。
 そのものの正体がない、しかしそれらすべてが我々の生を助けてくれている。だからこそ、有り難い、使えるものを粗末にするのはモッタイナイということなのであろう。
 もうバチは当たらないのか。
 精神を病んだ若者をケアすることも、もちろん、大事である。しかし同時に、もう一度、あえて「なぜ」を問わないという「畏怖」を我々は取り戻してもいいのではないか。
 人の生の不思議さ、バチが当たるかもしれない畏れによって、日本の文化は「調和」を育んで来た。壊れた人を助けたのは、まさに、実際には見たり触ったりすることができない紐帯があったからなのである。奢れるものは久しからず……とは古来から言われてきた言葉である。すべてを明らかにすることはできない。にもかかわらず、すべてを白日の下に晒してしまおうとする力。その力に溺れれば、我々はいつか取り返しのつかない大きな「バチをかぶる」ことになるのかもしれないのだ……あぁ、クワバラ、クワバラ、バチをかぶりませんように。