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ビデオゲームの美学

  • 古刊

いとうしゅん

松永 伸司 (著)
単行本: 376ページ
出版社: 慶應義塾大学出版会 (2018/10/20)
言語: 日本語
ISBN-10: 4766425677
ISBN-13: 978-4766425673
発売日: 2018/10/20

ビデオゲームは「芸術」か

今やゲームは身近な存在である。それまではゲームといえば据え置きのコンシューマーゲームといったハードが主流だったが、今ではスマホの普及によりスマホゲームがゲームの主流といわれるようになった。スマホ一つであらゆるゲームアプリを楽しむことができる汎用さや、その多くが基本無料でプレイできるという手軽さは、それまでゲームにあまり縁のなかったライトなユーザーを多く集め、今ではゲームという存在はよりいっそう身近なものになった。
一方、スマホゲームの影響によって衰退が叫ばれるコンシューマーゲームも、2017年に発売されたニンテンドースイッチをはじめ、スマブラといった勢いを見るかぎりではすっかり杞憂であるかのようだ。また、ニンテンドースイッチと同時発売された「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」は2018年のゲームオブザイヤー賞を受賞し、同じく日本ゲーム製の「ニーアオートマタ」や「ペルソナ5」がノミネートされた。また、世界を通して見ても、近年盛り上がりを見せるeスポーツなどをはじめゲームに関する話題は事欠くことはない。
さて、ここで一つ問いを投げてみる。いささか突飛に思える質問ではあるが、紹介する『ビデオゲームの美学』に入る前にぜひ踏まえておきたいことだ。それは次のようなものである。
「ゲームは他の芸術と比べ、正当な評価が得られているといえるだろうか」
というのも、ゲームは”これだけ大勢が日常的に接しているメディアであるにもかかわらず、批評・研究は、ゲームに正当な目を注いで来なかった”*1のである。既存の方法論ではゲームを論じることが困難であったということや、新たな表現形式・メディア・芸術であるゲームの正当な価値を見誤ってきたからということが考えられる理由の一つだが、少なくともゲームは映画が払われてきたのと同じくらいには注目され、論じられるべきである。SF・文芸評論家の藤田直哉は「SF史に残る(べき)ゲームたち」においてそう述べる。そこでは主にSF・ゲームに焦点を当て、ゲームの美学や芸術としてのゲームに対する見方や評価について言及している。
たとえば、小島秀夫を敬愛する伊藤計劃は『虐殺機関』や『ハーモニー』など”ゲームの内容と、ゲーム的な感覚、リアリティなどを小説内に表現した”作品を作り上げ、数十万部を売り抜け国外でも賞を受けた。作品は「文学作品」として扱われ研究の対象にもなっているが、翻って、伊藤計劃が影響を受けた小島秀夫の「メタルギアソリッド」――「メタルギアソリッド4」は”SF史のみならず、現代におけるあらゆる表現物の中での最高級の達成の一つ”である――は、伊藤計劃のそれらの作品と同じような扱いを受けているといえるだろうか、というものだ。
『ビデオゲームの美学』の概要を説明するにあたって、出発点としてはおよそこのようなものである。このように「他のジャンル、他のメディウム(媒体)での議論をゲームに当てはめることで、使える部分と、使えない部分を比較対照し、仕分けすること*2」、それが本書『ビデオゲームの美学』の主たる目的である。ここで少し留意しておきたいのが、この書は「ゲームは芸術であるか否か」ということを論じているわけではない。本書の目的は「〈ビデオゲーム作品がビデオゲームという芸術形式に属する芸術作品として評価される際にふつう評価項目になる特徴を明らかにすること〉(15)」であり、それは”ビデオゲームならではの特徴”「ナラデハ特徴」を明らかにすることである。なので、上に掲げた「ビデオゲームは「芸術」であるか」という問いはこの著を表す言葉としては的確ではない。だが、芸術というより娯楽としての面が一般的であるゲームを扱うにあたって、まずはじめに「芸術としてのゲーム」という認識を持っておくことは、本書の意義を感じるうえで重要なことである。また、そのような”ビデオゲームは芸術か否か”といった問いも導入において理論的に分析されている*3。

では、本書『ビデオゲームの美学』において「ゲームが芸術として評価される際に主な評価項目となる」点はどのようなものか。また、それを明らかにするために行われている”「ナラデハ特徴」を明らかにすること”とはどういうものか。
まず、ビデオゲームを芸術作品として評価するとき、なにが評価の対象となるのか。重要な一つとして”ビデオゲームならではの特徴”「ナラデハ特徴」があげられる。芸術形式(文学、絵画、音楽、彫刻、建築、演劇、ダンス、映画、写真、アニメーション、マンガなど)にはそれぞれ得意不得意なこと(その芸術形式ならではの特徴)があり、おなじようにビデオゲームをその得意不得意な「ナラデハ特徴」がある。それを明らかにすることによって、ビデオゲームが芸術作品として評価するさいの評価基準になるのだ。
「ナラデハ特徴」は「当の提示形式(芸術形式に属する個体が一般に受け手にどのような形で提示されるか、という観点から定義される人口物種)」に属する作品の良し悪しを判断する際に、その評価の焦点になる諸特徴」であり、それは受容や評価の観衆が明確な形で成立している必要がある。また、「ナラデハ特徴」を明らかにすることによって作品の特徴の記述や評価の理由づけ意において有用になる。そして、それが美学的に意義を持つのは、提示形式が批評実践やそれを前提とした制作慣習をともなう形で、アートワールド(芸術的受容がなされる慣習)を形作っているからだ。それらは批評だけでなく制作の面でも意義があるのだ。
終章において筆者も述べていているように、美と遊びを結び付ける考えは美学史上めずらしいものではないが、遊びを明確に行為としてとらえること、行為に<美的>という概念を結びつけること、そして行為を意図的に作り上げる人工物という概念、「行為のデザイン」という概念を持ち出していることがこの書の目新しい部分といえる。「行為に<美的>という概念を結びつけること」について少しだけ説明すれば、それはつまりゲームプレイの楽しさを「美的行為」として特徴づけることである。「美的行為」という概念は美的判断(とくに実質的美的判断)との類比によって引き出されたものであり、それは<美しい>、<醜い>といった美的判断との類比から引き出されたものであり、とりわけ<きゃしゃな>、<ずんぐりした>、<けばけばしい>、<バランスのとれた>といったような、対象の実質的な性質について判断する実質的美的判断に依っている。美的判断は、対象を知覚するという受動的なレベルでの事柄であるが、この「美的行為」にはそれを能動的なレベルで適用したものである。
娯楽としてのイメージが強いビデオゲームだが、美学的・哲学的な視点から考察してみると、なにげないゲームプレイのの一動作さが深い新鮮味を帯びてくる。ビデオゲームについて新しい発見を次々にあたえてくれる非常におもしろい一冊である。